
Hugo Meyer社
1880年 会社設立
1895年 独ゲルリッツ(Goerlitz)の光学機器メーカーとして「Aplanats」レンズを生産開始。
1898年 「Anastigmat」レンズの生産を開始。
間もなく商標名として「Aristostigmat」を使用開始。
1914年 トリプレットタイプの「Trioplan」生産開始。
1919年 Dr.Paul Rudolphが入社。このとき61歳。同年から1921年にかけて「Plasmat」レンズの特許を取得。
Dagor lensの張り合わせセメント部分を空気レンズ化。コーティング技術が未熟なため内面反射が多い。
1922年 「Dr.Rudolph's Plasmat」販売開始。
1924年 Rudolphは、f2とf1.5の「Kino-Plasmat」を設計。
1930年までに16mm映画用に3/4inch、7/8inch、1+3/8inchが発売、
35mmフィルム用に1+5/8inch、2inch、3inch、3+1/2inchの「Kino-Plasmat」を発売。
(12.5mmのKinoplasmatは、後年1938年頃に8mm映画用に追加された。)
1931年〜33年 ライカマウント専用のKino-Plasmat75mmf1.5を発売。
1932-33年頃 「Makro-Plasmat f2.7」を発売。
50mmのライカマウント(キノコ)は製造番号581900番〜582700番台と言われ、製造台数が非常に少ない。
(初期のライカA型用のものには580000番台のものも存在する。)
105mmにはPrimaflex用とExakta6x6用のものがある。78万〜96万番台
75mmにはExakta A型用のものがある。番号は582000番台(詳細不明)
1934-35年頃 Exakta VP(ナイトExakta)用に「Primoplan 80mmf1.9」を製造開始。
Primoplanf1.9は30,50,58,75,80,100,180mmが生産されている。
1939年からの第二次世界大戦中にはその期間のみと思われる100mmf2.0の「Megon」が生産されている。
(6枚のダブルガウスタイプ)
第二次世界大戦後は東ドイツの共産主義国家に編入されたため、より低価格のレンズを「量産」していくこととなる。
1960年にPENTACONに買収される。さらにSchneider社傘下に。
その他の注目レンズ
Kino-Plasmat f2.0
シネ用レンズ。レンズ構成はf1.5のKino-Plasmatと同様。7/8inch〜5inchが生産されたようであるが、実物を見る機会は少ない。
Makro-Plasmat f2.9
1inch〜12inchまで多種存在する。1930年のカタログにNEWとして登場しているので、そのころに生産が開始された模様。
Rapid-Plasmat f1.0
f1.0!!の超高速レンズ。生産はされなかったようだが、レンズ構成はKino-Plasmatと共通しているのか??
Plasmat 6.5inch f1.8
これも未だ実物を見たことがないf1.8のPlasmat。
Kinon Superior 50mmf1.5,f1.6,f1.8
1920-30年代のプロジェクションレンズのようであるが、眼にしたことがない。50mmf1.5などを撮影に使用したら、、、、?
参考文献 A lens collector's vade mecumなど多数。
Dr.Paul Rudolph(1858-1935)
1886年 Zeiss社に入社
1890年 Protar設計(Anastigmatの名称を商品名として初めて使用)
1896年 Planar設計(ダブルガウス型)
1899年 Unar設計(複合ガウス型)
1902年 Tessar設計(Protar、Unarに加えTripletの要素も加えたAnastigmat)
1911年 Zeiss社 退社
1919年 Hugo Meyer社入社
1933年 Plasmat社設立 Rolandカメラを発売
1935年 死去
Dr.Rudolpfは1911年にZeiss社を退職後、退職金で悠々自適に暮らしていましたが、第一次世界大戦後のドイツの大インフレによって財産を失い、GoerlitzゲルリッツのHugo
Meyer(フーゴ・マイヤー)者に再就職しました。その時年齢は61歳です。1919-21年にPlasmat(プラズマート)を設計した後、1933年に退職し、プラズマート社を設立しました。同社ではKleinbild
Plasmat 7cmf2.7(クラインビルト・プラズマート)が装着されたRoland(ローランド)という6x4.5cm判のカメラを製造しました。

レンズ製造番号と年代
1930年 500,000
1935年 675,000
1949年 1,000,000
1950年 1,200,000
1955年 1,600,000
1960年 3,000,000