Lens Impression
Futura Kamerawerk(フツーラ・カメラ)は1950年から1957年という短期間ドイツのFreiburg(フライブルク)で4種類のレンズ交換式レンジファインダー機と交換レンズを生産していたカメラメーカーである。
創業者はFritz Kuhnert(フリッツ・クーネルト)で戦時中Optische Anstalt Fritz Kuhnert(フリッツ・クーネルト光学会社)という名称でドイツ空軍の光学機器の製造業務を行っていたが、連合軍の爆撃で工場が大破してしまった。戦後フライブルク北東部の
Gundelfingenに新しい工場を建設し、1947年にはEfka24という24×24mmスクエアフォーマットのビューファインダーカメラをElor
50mmf2.8 付きで発売している。続いて1950年のフォトキナで最初のFuturaカメラを発表したが、Fritzの会社は経営難であったようで、1951年にはハンブルグのErnst
とEduard Komorowskiという船会社のオーナーに会社を売却し、経営から離れた。同時に会社名を変更して、Futura Kamerawerk
GmbHという有限会社となった。
フライブルクの地元紙であるBadische Zeitungの2012年の特集記事によると、フリッツ・クーネルトの後の社長にはHans Simonisが就任し、小規模ながらレンズ研磨や検査、カメラ組み立ての機能を備えた包括的カメラメーカーであったようだ。
フツーラ は1950年から57年までの短期間に、Futura(1950-55 Compur rapid), FuturaP(1952-55 Prontor SV), Futura S(1953- Synchro Compur), Futura SIII(1956-57 Lever巻き上げ)という4機種のレンズ交換式レンジファインダー機を製造している。また、この短期間の生産にも関わらず、交換レンズも充実しており、Elor 50mmf2.8、Evar 50mmf2、Futar 45mmf3.5、Xenar 45mmf2.8、Frilon 50mmf1.5、Ampligon 35mmf4.5、Tele Futar 75mmf3.8、Tele Elor 90mmf3.8、Tele Elor 90mmf5.6、Telefutar 100mmf5.6、Frilon 70mmf1.5、というラインアップがそろっていた。主なレンズ名は家族の名前から付けていて、Frilon=Fritz(本人)、Elor=Elenore(妻)、Evar=Eva(長女)、そしてPetar=Peter(長男)であるが、最後のPetarというレンズは目にすることがない。
フツーラのレンズはシュナイダー社の設計士Werner Giesbrecht(ヴェルナー・ギースブレヒト)によって設計されていたが、レンズの製造はシュナイダー
Xenar以外はすべてフツーラ社が自社工場でおこなっていた。
1957年フツーラ 社は活動を停止した。フツーラ カメラの構造には口径の小さなマウント、レンズとボディの連動など多くの課題があり、それらを解消していくためには大きな投資が必要になることから、活動継続を断念したものと思われる。
レンズマウントは独自のスクリューマウントで、口径は34mm。
34mm→42mmの径変換で42mm→Sony Eマウントのヘリコイドアダプターに装着して、α7Rでフルサイズで撮影可能 となりました。
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