Type Year Factory Designer Name Lens Unit RMKS
Beginning
極初期
1558 N.A. Giambattista della Prota(1538-1615)
G.B.ポルタ
Camera Obscuraカメラ・オブスキュラ
He is a Naturalist of Renaissance period, maybe a kind of a alchemist or magician(wizard?) and being rich. In his book ‘Magia Naturalis’ published in 1558, he introduced ‘camera obscura’ and the usage of convex mirror to
correct the inverted image and later 1589 he finally mentioned that the figure gets more clear and sharp when using ‘lens’ in stead of pinhole. He seems to have used a double convex lens for camera obscura first time.

ルネッサンス期のイタリア・ナポリの博物学者で、ある意味、錬金術師、魔術師の仲間とも言える。裕福な生まれらしい。1558年に出版した著書「自然の魔術」中に、カメラオブスキュラを紹介し、凹面鏡の使用による逆像の補正に言及し、その後の1589年の第二版で初めてカメラオブスキュラのピンホールに「レンズ」を用いると像が鮮明になるとの記述した。また実際に両凸レンズを初めて使用したらしい。

Beginning
極初期
1674 N.A. George Ravenscroft (1633-1683)
ジョージ・レイベンクロフト
Invention of flint glass(lead glass)
フリントガラス(鉛ガラス)の発明
N.A. He invented "flint" glass(lead glass) which has high refractive index and high dispersion.

従来のソーダガラス(クラウンガラス)に比べ、より「高屈折率・高分散」のフリントガラス(鉛ガラス)を発明した。
Beginning
極初期
1717 N.A. Johann Heinrich Schulze
(1687-1744)

ヨハン・ハインリッヒ・シュルツェ
Discovery of photosensitivity of silver chloride
塩化銀(硝酸銀)の感光性を発見
N.A. He discovered photosensitivity through finding silver chloride and silver nitrate change dark in the presence of light.

シュルツェは塩化銀(硝酸銀)が光に当てていると黒く変色することから、その感光性を発見した。
Beginning
極初期
1729 N.A. C.M.Hall(1703-1771)
C.M.ホール
Reduction of chiromatic aberration
色収差の除去
N.A. He found that positioning a concave lens behind a convex lens eliminate its chromatic aberration.

凸レンズの後に凹レンズを配することによって、色収差が減少することを発見した。
Beginning
極初期
1747 N.A. Leonhard Euler(April 15, 1707-September 7, 1783
レオンハルト・オイラー
Reduction of chiromatic aberration
色収差の除去
N.A.

He proved the reduction of chromatic aberration by a lens combined with glass and water.

ガラスと水を組み合わせたレンズを使って、色収差の除去を実証した。
Beginning
極初期
1758 N.A. John Dollond
(1706-1761
)
ジョン.ドロンド
Invention of achromatic lens
色収差補正レンズの発明
In 1758, Dollond starts production of achromatic lens by bonding crown convex lens and flint concave lens after huge calculation and trial. But because of low homogeneity of glass itself, the performance of that lens is limited.

1758年、ドロンドは膨大な計算と試作の果てに、クラウン凸レンズとフリント凹レンズを貼りあわせて色収差を補正した「色消しレンズ」の生産にこぎつけた。しかし、当時はガラスの均質性に問題があったため、その性能は限られていた。
Beginning
極初期
1799 N.A. Pierre Louis .Guinand
(1748-1824
)
P.L.ギナン
New way of glass production
新しい光学ガラス製造法の発明
(構成比 例) クラウンガラス フリントガラス
無水ケイ酸 70% 45%
炭酸カリウム 20% 12%
炭酸カルシウム 10% 0
酸化鉛 0 43%
Among raw materials to produce optical glass, PbO is so heavy to sink during dissolution which leads the quality of the glass block un-homogeneous and this increase difficlty to produce larger and high quality lens.
Guinand invented to use burned clay for both crucible and stirrer and established the method to continue to stir all the way during cooling.

ガラスを溶解中に撹拌することを考案し、良質で均質な製造が可能となった。

無水ケイ酸(珪砂)、炭酸カリウム、酸化鉛(PbO)などのガラス材料の中で、PbOは非常に重く、冷却中に沈み込んでガラスの均質性を悪化させ、良質でより大きなレンズの製造を困難にさせていた。ギナンはるつぼ、並びに撹拌棒に素焼き粘土を使用し、冷却中連続して撹拌するという新たな製造法を発明した。
 ①先の窄まった円筒形で約1m高の素焼るつぼを窯で白熱するまで熱する。
 ②材料を沸騰させないように注意しながらるつぼに入れる。
 ③窯を閉じて、1600-1800℃まで加熱する。
 ④その状態を20-30時間保つ。
 ⑤途中でサンプルを取り出して試験し、問題なければ上澄みの不純物を取り除き、撹拌を行う。
 ⑥鉄棒に取り付けた素焼の撹拌棒を熱した上で、溶けたガラスの中に入れ、5分交代のチーム制で撹拌する。
 ⑦初めの1時間の撹拌で泡が見られたら、再度溶かし直す。
 ⑧撹拌は徐々に温度を下げながら約15時間行う。
 ⑨次第に粘度が増し、混ざりにくくなる。
 ⑩窯の火が消され、6時間で急速に冷却される。金属で叩いて硬い音になったら、窯を閉め、空気に触れさせずに数日~数か月かけて冷やされる。
 ⑪るつぼが壊され、目視で不純物があれば割って取り除く。
 ⑫800-900℃に再び熱せられ、型に入れて再加熱後、ゆっくりと冷やされる。
Very early stage
最初期
1812 N.A. WILLIAM HYDE WOLLASTON (1766-1828)
W.H.ウォラストン ,
meniscus lens
メニスカス・レンズ
He invented meniscus type lens for improving aberration of glasses in 1804. In 1812, he deducted aberration by changing the lens of camera obscura from convex lens to convex meniscus lens by facing its concave surface to the object and placing aperture diaphragm in front of the lens. He named this lens as "Periscope".However, because it is not a symmetrical lens but locating aperture diaphragm in front of glass elements, it shows strong barrel distortion and because the lens consists of only single convex lens, its image plane leans to forward which restrict its angle of view.It is not achromatic as single lens, and remains spherical aberration. However at closed apperure, it shows better image expression as curvature of image plane, Astigmatism and Coma aberration is well controlled.

1804年には眼鏡の収差の改善で初めてメニスカスレンズを考案、1812年にはカメラオブスキュラのレンズを凸メニスカスとし、凹面を光源に向けて、絞りを前方に配置する形で収差を軽減させた。(焦点距離560mm、レンズ径102mm) 彼は、このレンズを「ペリスコープ」と名付けた。
ただし、対称型でなく絞りを前に置く形なので、たる型の歪曲が強く、凸単レンズであるため像面も周辺ほどレンズ側に傾くため画角は制約される。色消しもされておらず、球面収差も残存しているが、絞り込めば像面・非点・コマ収差が抑えられ、それなりの画像になった。
Very early stage
最初期
1810頃? N.A. Joseph von Fraunhofer
(1787-1826)
ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー
Objective lens
貼り合わせ対物レンズ
1787年にバイエルンのシュトラウビング市のガラス職人の家に生まれる。家庭は中流で市の中心部に5階建ての家を保有しており、その家は現在も残っている。
木材旋盤工から丁稚奉公をを始めるが、体力がなかったため、間もなく父親と同じガラス工に転じた。ガラス工房の親方は非常に厳しく、日曜学校や読書も禁じられていたらしい。
1801年に工房の建物が2棟倒壊し、親方の妻が死亡、ヨゼフは4時間後に発見されたが、ほぼ無傷であった。この事故を通じて近所に住んでいた、ヨゼフ・マキシミリアン(のちのマキシミリアン1世)と、ヨゼフ・ウッツシュナイダー(バイエルン知事のちに起業家)と知り合うこととなり、彼の人生は変化を遂げた。親方は学校や読書を認め、マキシミリアンは資金的に、ウッツシュナイダーは本や政治の話をしてくれるようになった。
1802年にウッツシュナイダーが工房を設立し、そこでヨゼフはガラス関係の業務に就いた。
1807年にウッツシュナイダーはすべての業務をベネディクトボイエルンに移転し、そこにガラス融解工房を設立した。そこでヨゼフはP.L.ギナンと出会う。数年前に脈のないガラスを発明していたギナンは、ウッツシュナイダーに年500ギルダーという高給でベネディクトボイエルンに移ってきていた。
1809年、ウッツシュナイダーの指示により、ヨゼフはギナンの全技術を受け継ぎ、その事業の全責任を任されることになる。工房では、望遠鏡の他に、顕微鏡、オペラグラス、ルーペを製造していた。

この頃貼り合わせの望遠鏡対物レンズを製造したと思われる。この凸レンズが前方にあるフラウンホーファー型の方が、凹レンズが前方のシュタインハイル型よりも貼り合せの曲率が緩く、製造が容易であったので、対物レンズの主流となった。望遠鏡の長焦点では画角も狭いため、周辺画質を左右するペッツバール和よりも球面収差補正に重点が置かれている。

また、ヨゼフはいち早くEDガラス(特殊低分散ガラス)を試作するが、腐食に弱く失敗、蛍石レンズに先を越される。
1813年、ヨゼフは太陽光の中にフラウンホーファー線を発見。
1814年、ギナンがスイスに帰国。ガラス融解とレンズ設計のすべてはヨゼフに任された。同時にウッツシュナイダーはヨゼフを共同経営者にし、ヨゼフの年収は1,500ギルダーに増加した。
1821年 回析格子を開発。
1824年にナイト(騎士)となり、貴族の一員となった。1826年に39歳で死去。
Very early stage
最初期
1817 N.A. Johann.Carl.Friedrich.Gauss(1777-1855)
C.F.ガウス
New design for Telescope
望遠鏡用新レンズ

He designed a complete different type of the objective lens of telescope from the mainstreamed ‘Fraunhofer type(compound lens of convex and concave lens)’ which have been invented by von Fraunhofer, Joseph. The performance of this design is better with flatter image plane, less color difference, however, because it was more difficult to manufacture with steeper curvature, this objective lens of Gauss have never been merchandised and practically used.

それまで望遠鏡の対物レンズの主流であったフラウンホーファー型(凸レンズと凹レンズの張り合わせ)とは異なった発想の分離型。
球面収差は大きいものの、各色均一であり、像面もフラウンホーファー型より平坦であったが、フラウンホーファー型よりも曲率が大きく製造が困難であったことに加え加工のばらつきも大きいため、このガウスの望遠鏡対物レンズは商品化されず、実用化されていない。

Early type
初期
1839 N.A. Charles Chevalier
シュバリエ
Achromatic lens
色消しレンズ
Daguerre
Used in 1st Daguerreotype camera(focal length f=340mm, aperture=81mm, f-number=17 with diaphgram in front).Louis Jacque
Mande Daguerre 1878-1851 made a contract of partnership for the research  with Nicephore Niepce 1765-1833 who had succeeded to take photograph with asphalt and Pewter plate for the first time of the world. Because Niepce died soon, and the technique of Daguerre using copper plate and iodine leads up to the modern photograph, the name of Daguerre had recorded in the history.
By that time, achromatic lens using pasted glass of two had been invented(combination of convex lens from crown glass with low refractive index 1.5-1.7, low dispersion=Abbe numbers 55-70 and concave lens from flint glass with high refractive index 1.6-1.9, high disperson=Abbe numbers 29-51, which erase chromatic aberration by making low wavelength red shift and high wavelength blue shift.)It is called ‘Doublet’ now.
Although spherical aberration is corrected to some extent, field curvature, distortion and astigmatism are not corrected. The max f-number stops at 14.

ジルーのダゲレオタイプで使用(焦点距離f=340mm、口径φ81mm、レンズ前面に絞りを入れた口径比F17のレンズ)
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(Louis Jacque Mande Daguerre 1878-1851)は、世界で最初にピューター板とアスファルトを用いた写真撮影を実現した画家のニエプス(Nicephore Niepce 1765-1833)と1829年に共同研究の契約をし、まもなくニエプスが死去したことと、銀メッキした銅版とヨウ素を使用するダゲールの写真技法が近代写真につながっていったことから、その後の歴史上はダゲールの名前が残ることとなった。
この時点ですでに色収差の補正のために2枚張り合わせの
「色消しレンズ」は考案されていた。(低屈折、低分散ガラス(クラウンガラス)を使った凸レンズと高屈折、高分散ガラス(フリントガラス)を使った凹レンズを張り合わせると低波長の赤色光と高波長の青色光が重なり色収差が消えるという原理)

シュヴァリエCharles Chevalierは1804年4月18日パリ生まれ。父のJacques Louis Vincent(1770-1841)も祖父のLouis Vincentも光学機器商であったので、自然と彼もそれを継いだ。しかし、1832年にCharlesは自分の業績や発明に関する「不適切な評価」を巡って、父親と口論の上、家を飛び出し、Palais Royal, Galarie de Valois, No.163に店を開いた。1847-8年に同じくNo.158に移転し、そこで1859年11月21日に生涯を終えた。
彼の性格はどちらかというと自分本位の独りよがりなエネルギッシュな男で、器具職人というだけでなく多筆の物書きに近いものでもあった。ダゲレオタイプに関し、Charlesは14年間に4冊の本を出版している。一方で、彼は20-30代においては顕微鏡・望遠鏡のレンズの発明で全国博覧会で多数の金賞・銀賞を獲得している。特に1934年に獲得した金賞はその後の彼のレンズ鏡胴に刻印されていることがある。そうした功績によって、1839年にニエプスとダゲールがダゲレオタイプを発明した際、ごく当たり前のように、Charlesに広い受像面をカバーするレンズの依頼が来た。

Charlesは、Wollastonのメニスカスレンズの凹面を被写体に向けて配置する考え方(1812)と、日ごろ慣れ親しんできた望遠鏡・顕微鏡レンズの色消しの考え方を融合して、フラウンホーファーの2枚貼り合せレンズを逆さにして絞りの後方に置いた形、すなわち「なだらかな凹面が前方を向いた貼り合せ色消しレンズ(前方が凹フリント、後方が凸クラウンの貼り合せ)」を供給した。このレンズは81mm径で焦点距離15インチ/明るさf4のものであったが、巨大な球面収差が発生したため、レンズ前方から2+3/4インチ(68mm)の部分に24mmの絞りを設け、f16として球面収差の発現れを抑制した。しかし、たる型の歪曲、像面のレンズ側への彎曲、非点収差などは残っており、建築写真などには適さなかった。
(絞りの片側のみにレンズが配置された場合、歪曲は不可避であり、絞りを前に置くと「たる型」、絞りを後方に置くと「糸巻き型」となる。)

まもなく、人物撮影用により明るいレンズが求められるようになり、1940年末までに提出された優れたレンズに賞が与えられることになった。
Charlesはさまざまな工夫のレンズを製作し、貼り合せ色消しレンズを絞りの前後に配置し、f5.2の明るさ(のちにf4.9)を開発したが、実際のところ、開放近くでは球面収差と像面湾曲がひどく出たようである。
Charlesはこのレンズを1840年12月1日にコンテストに提出。すると締切後の1841年3月になって、ウィーンのフォクトレンダー社からPetzval設計の優れたレンズが提出され、長い議論の後に、Charlesのレンズにプラチナメダルが、Petzvalのレンズにシルバーメダルが贈られることとなった。しかしこの後10年間にPetzval型が8000本以上生産されたのに対し、Charlesのレンズは歴史から忘れ去られることとなった。
Petaval type
ペッツバール型
1840 N.A. Joseph Petzval
ペッツバール
portrait objective lens人物用レンズ

Petzval
Used in Voigtlander’s first portrait camera.

Just after starting sales of 1st Daguerreotype camera, the French Society for the Encouragement of National Industry announced the contest to develop the brighter lens than that of Chevalier doublet Daguerreotype lens. Joseph Petzval, a professor of mathematics of University of Vienna, originnaly from Hungary, was asked from Anrease von Ettingshausen, also a professor of University of Vienna, who realized keenly the necessity of brighter lens and started to plan the new lens design in 1840. By his ability of mathematics with hiring 8 specialist of calculation from Austrian artillery, he devised own ray tracking method with counting aberration of lenses, and succeeded to produce the prototype of Petzval's portrait objective lens. The result of the contest was Platinum prize for Chevalier lens and silver prize for Petzval lens. His portrait objective lens 149mm f3.7 which allocate diaphragm between double meniscus lenses was loaded on Voigtlander’s first portrait camera and no brighter lens have been appeared in the after half century.

The composition of Petzval lens is to reduct image of front part to focus on screen by the latter part which correct spherical and coma arerration well. However because new type of glass was not inventioned yet, this lens could not satisfy to minimize "Petzval sum" to make the image flat. The image plane leans towards front which makes expression around peripheral area gradual disorder. If you make image plane flat, it makes the difference of sagittal and meridional plane much bigger and which results a very big astigmatism around peripheral area.


フォクトレンダー円筒形金属カメラに使用

ダゲレオタイプカメラ発売直後のフランス政府の産業振興協会のコンテストが催され、シュバリエは早々にダゲレオタイプに装着していたダブレット単玉を大幅に改良した「可変焦点レンズPhotograph a Verres Combinesを提出していたが、ハンガリー生まれでウイーン大学の数学教授ペッツバールは同じウィーン大学教授のエッティングスハウゼン(Anrease von Ettingshausen)に依頼され、専門分野ではなかったものの、1840年にレンズ設計に着手し、オーストリア陸軍の砲兵隊から計算の得意な者8名を雇うなどして、、レンズ収差を考慮した「光線追跡法」を考えだして、ポートレート用色消しレンズを製造した。その結果ペッツバールはダブルメニスカスを絞り板をはさんで前後に配するという驚異的に明るいペッツバールポートレイトレンズ149ミリF3.7を設計し、遅れて応募した。長期間の審査の結果はシュバリエのレンズにプラチナが、ペッツバールのレンズには銀賞が贈られた。このレンズはフォクトレンダー円筒形金属カメラに搭載して発売されたが、その後半世紀ものあいだこのレンズを超える明るさのレンズは出現しなかった。このレンズは特許が弱かったため、欧米の多くの企業に設計を模倣され、それが一時代を画す拡大に繋がった。

ペッツバールのレンズは、前群の像を後群で縮小し結像する構成であり、球面収差・コマ収差は十分に補正させているものの、像面をフラットにするための彼自身が発見した「ペッツバール和」を最小にするためのガラス(例えば高屈折・低分散のバリウムクラウンなど)が開発されておらず、従来のクラウンガラス・フリントグラスのみであったため、周辺部の像面はレンズ側に大きく傾き、周辺画角では像が大きく乱れる。仮に像面を平坦にするためには、メディオナル・サジタル面の格差がプラス・マイナスに大幅に開く形となり、大きな非点収差が現れる。

「ペッツバール和」とは、像面を平坦にするための公式であり、Σ(1/(屈折率×焦点距離))で表される。
すなわちこれを最小にするためには、
  ①焦点距離がマイナスの凹レンズとの組み合わせ、
  ②正レンズには、屈折率が大きく曲面が緩やかなレンズ(新イエナガラス)などの採用、が必要である。。
Symmetric
向い合せ型
1841 N.A. Thomas Davidson
トマス・ダビッドソン
Doublet lens
対称型ダブレット
Provably, this lens might be the first production of symmetrical type. Although its idea to diminish distortion by arranging lenses symmetrically putting aperture diaphragm in the middle of both lenses, it was not succeeded commercially. Because this lens shows a straight line as straight on picture, it was called “Rectilinear”

おそらく、最初の対称型レンズ。絞りを挟んで両側に対称にレンズを配置すれば、歪曲がなくなるという発想は優れていたが、商業的には成功しなかった。
直線が直線として描写されたことから、「Rectilinearレクチリニア」と呼ばれた。
Symmetric
向い合せ型
1841 N.A. Andrew Ross
アンドルー・ロス
Doublet lens
非対称型ダブレット
This lens can be used for landscape photograph separating the latter unit only. However, it was necessary sensitized paper to bend because of strong field curvature.

後玉だけで、風景用にも使用できた。その場合は像面彎曲が大きいため、感光紙を彎曲させて撮影された。
Early type
初期型
1857 N.A. Thomas Grubb
トマス・グラブ
Aplanatic lens
アプラナート補正型
The composition of Aplanatic lens designed by Thomas Grubb is a single doublet lens to locate convex lens from crown glass in front and concave lens from flint glass in rear. Also, this rather fast lens with big aperture has characteristic to show all surface of glasses towards diaphragm are concave surface.
Although spherical aberration is well corrected because of stronger curvature of the interface of glasses, its image plane leans with larger Petzval Sum and remains Barrel Distortion because of unsymmetrical composition having diaphragm in front.In the middle of 1860th, two company(Steinheil and Dallmeyer) start to manufacture at almost the same time by the name of ‘Aplanat’ and ‘Rapid-Rectilinear’ using this design.

Name of aberration corrected lens
(1)Achromat lens
Corrected two wavelength of chromatic aberration.
Chester Moor Hall (1703–71) invented the subjective lens of this type in 1729. In 1758, John Dollond1706-1761, British optical machine maker, obtained patent.
(2)Aplanat lens
Corrected spherical aberration and coma aberration.
The name came from product of
Steinheil, Germany (Steinheil, Carl August von 1801-70).
(3)apochromat lens
Corrected three wavelength of chromatic aberration.
Ernst Abbe (
23jan1840-14jan1905 ) introduced this type in 1868. Otto Schott met Abbe in 1881. He was a glass chemist from the University of Jena. Abbe and Schott developed several new glass including Fluorite lens a uniform refractive index for years. In 1884, Schott, Abbe, and Zeiss formed a new Schott and Sons company in Jena, Germany and they introduced a new type of objective, the apochromat in 1886 for microscope
(4)Anastigmat lens
Corrected astigmatism and field curvature.
Dr. Paul Rudolph invented this type and named as anastigmat from Zeiss. They changed the name to ‘Protar’ in 1900.
グラブが設計したこのアプラナート補正レンズ(Aplanatic lens)は、色消しレンズの前側にクラウンの凸メニスカス、後側にフリントの凹メニスカスを配置し、三面とも被写体側に対して凹にし、その前に絞りを置いた大口径レンズで、接合面の曲率が強く、球面収差が良く補正されているが、ペッツバール和はより増大し像面は傾斜するとともに、絞りの後方にのみレンズがあるため、たる型の歪曲が残存している。
その後、1860年代半ばにレンズを絞りの両側に配置して対称型としたこの発展形が、SteinheilとDallmeyerでほぼ同時に各々「アプラナートAplanat」、「ラピッド・レクチリニア」と言う名前で正式に製品化される。
収差補正レンズの名称
① アクロマート(Achromat)レンズ:
  二波長の色収差を補正したレンズ。
  1729年、チェスター・モーター・ホールはアクロマート対物を発明。1758年英国の光学器械業者ドロンド(John Dollond:1706-1761)によって特許取得。
② アプラナート(Aplanat)レンズ:
  球面収差とコマ収差を補正したレンズ。
  1866年、ドイツのシュタインハイルが命名。
③ アポクロマート(Apochromat)レンズ:
  三波長の色収差を補正したレンズ。
  1868年、アッベが考案。アッベは1881年にフリードリッヒ・オットー・ショット(Friedrich Otto Schott)と出会い共同研究を開始。
  その後非分散光学ガラス(蛍石レンズ)などを発明し、1886年にアポクロマートレンズを顕微鏡レンズとして商品化。
④ アナスチグマート(Anastigmat)レンズ:
  非点収差と像面湾曲を補正したレンズ。
  1890年、ドイツツァイス社のルドルフ(Dr. Paul Rudolph:1858~1935)が命名し販売開始。
  1900年にProtarレンズという商品名に変更。
Petzval type
ペッツバール型
1858 N.A. Joseph Petzval
ペッツバール
orthoscope
オルソスコープ
Designed as a landscape lens. Aperture is f8. The rear unit is modified from the portrait lens made in 1840, which made the coverage angle wider and reduced distortion.

景色用鏡玉として設計。F8。1840年の人物用レンズの後玉を変更し、より包括角度を広くし、歪曲も減じられている。
Symmetric
向い合せ型
1860 N.A. C.C.Harrison & Schnitzer
CCハリソン+Jシュニッツァー
Globe lens
球形レンズ
This lens has named as “Globe Lens” as the shape of its outskirts consist of parts of sphere. It diminished distortion with symmetrical composition and achieved big angle of view as 95 degrees.But its aperture was small as f17.5 because of remaining big spherical aberration.

対称型レンズの外周が球形の一部となっていることから「globeレンズ」と呼ばれる。対称型にして歪曲をなくし、画角95度という大きな画面を確保した。
球面収差の補正にやや難があり、f17.5と暗かった。
Early type
初期型
1864 Dallmeyer
ダルメイヤー
J.H.Dallmeyer
J.H.ダルメイヤー
Wide Angle Landscape Objective
風景用ワイドアングルレンズ

Focal length of front and rear convex lens differs 1:3, between which one concave lens is located. Aperture is f15, angle of view Is 75degrees with several focal length. Spherical aberration and astigmatism still remains and also shows field curvature to front.

前後の凸レンズは焦点距離の比が1:3。その間に凹レンズを配置している。F15で画角は75度、焦点距離は各種作られた。単玉であるために歪曲収差が残存しており、像面は前方に湾曲している。

Symmetric
向い合せ型
1865 Steinheil
シュタインハイル
N.A. Periscope
ペリスコープ
This lens has spherical aberration and axial chromatic aberration remaining because of the single lens combination but not doublet. And image plane is not flat with larger Petzval Sum. On the other hand, Coma aberration , distortion and chromatic aberration of magnification were well compensated as its symmetrical composition.
This lens performed well at rather darker aperture.


色消しレンズではなく単レンズの組み合わせのために、球面収差と軸上色収差の補正ができないことと、ペッツバール和が大きいため像面が平坦ではないという欠点はあるが、対称型構成によりコマ収差・歪曲収差、倍率色収差はかなり良好に補正。暗めの口径では比較的優れた性能を発揮した。

Periscopeレンズが装着されているKodakのVest Pocket Kodak typeB
Petzval type
ペッツバール型
1866 Dallmeyer
ダルメイヤー
J.H.Dallmeyer
J.H.ダルメイヤー
Portrait lens
人物用レンズ
Among Dallmeyer portrait lenses, some soft lenses are made by dislocating front or rear lens unit.
This Dallmeyer's Patent in 1866 reversing the order of glasses in the latter group of Petzval had been followed by many other manufactures to be able to get faster speed and the boom of soft focus photos.

So, we often find such Petzval lenses in that manner in 2ndhand market.

この時期のダルメイヤー人物鏡玉には、前玉や後玉の位置をずらすことによってソフト効果を出すものも作られた。
ペッツバール型の後群の構成を逆にしたこのダルメイヤーの1866年の特許は、より明るさを得られたことと、ソフトフォーカスの流行によって、この後多くのレンズに模倣されることとなる。

そのため、現代でも購入した中古ペッツバールレンズで、意図的に後群のレンズ順が変更されている個体が頻繁に発見される。
Symmetric
向い合せ型
1866 Steinheil
シュタインハイル
Carl August von Steinheil and Philipp Ludwig von Seidel
シュタインハイル・ザイデル
Aplanat
アプラナート

Improved lens from Thomas Grubb’s Aplanat corrected lens of 1857 to symmetrical Doublet.
In the middle of 1860’s, Seidel and Adolph Hugo Steinheil who was a photographic lens designer of Optische Werke CA Steinheil Söhne invented a new lens called ‘aplanat’ in which a mathematical ray tracing technology was adopted. The max aperture is f6.
Philipp Ludwig von Seidel is a german mathematician, optician, and astronomer. He is famous for ‘Seidel's classification of aberrations’ and for his book about the theory of aberration.
Almost at the same time, J.H.Dallmeyer released the same designed lens named ‘Rapid Rectilinear’. Because of this, the market of these lens was divided in Britain and others. 

1857年のグラブのアプラナート補正レンズをダブレットにした改良レンズ。
1860年代半ば、ザイデルとドイツ企業シュタインハイル&ゾーン社の写真レンズ設計者H・アドルフ・シュタインハイルとの共同で、数学的な光線追跡技術を採り入れて設計、「アプラナート」と名付けられた。明るさはF6。
ルートヴィヒ・ザイデル(Philipp Ludwig von Seidel)はドイツの数学者、光学者、天文学者である。光学分野では「ザイデル収差」や1856年に出版した収差理論に関する著書などで名を残している。

屈折率の差が大きく分散が近いレンズを、レンズ面をすべて絞りに対し凹面を向けて貼り合わせている。
貼り合わせ面の曲率を上げて、色消し条件を満たしながら、球面収差を補正した。
さらに対称型で歪曲収差、コマ収差なども良好であり、最大F6と明るかったこともあって人気を得た。
ただし、旧ガラスのみの対称型であり、曲率も高いため、ペッツバール和はまだ大きく、周辺の像面には課題(非点収差)があった。改善が図られたのは、新(イエナ)ガラスの発明以降となる。

同じ頃、イギリスではJ.H.ダルメヤーが同じ設計のラピッド・レクチリニアを発表し、このレンズの特許がイギリスで取得できなかったために、イギリス市場と棲み分けるような形になった。

Symmetric
向い合せ型
1866 Dallmeyer
ダルメイヤー
J.H.Dallmeyer
J.H.ダルメイヤー
Rapid-Rectilinear
ラピッド・レクチリニア
‘Rapid Rectilinear’ is the same design lens of ‘Aplanat’ from Steinheil. Max aperture is f8, and the angle of view is 50 degrees. Both were invented at almost the same time.

シュタインハイルのアプラナートと同じ設計の「ラピッド・レクチリニア」

明るさはf8、画角は50度あった。両レンズはほぼ同時に発明された。
Petaval type
ペッツバール型
1881 Steinheil
シュタインハイル
Adolph Steinheil Antiplanetic Group lens
アンチプラネット
絞りより前群を収斂性のある貼り合わせ、後群を発散性のある貼り合わせとして、相互の欠点を補完している。
一定度の画角では平坦で良好な結像を得られるが、旧ガラスのみの組み合わせでは限界があり、限度を超えると急速に収差が増大した。
Petaval type
ペッツバール型
1881 Steinheil
シュタインハイル
Adolph Steinheil Antiplanetic lens
人物用アンチプラネット
Anti Planetic lens seems to be made from the similar concept of Aplanat. Diaphragm is located between cemented lenses. On the other hand, the layout of each convex and concave lens is opposite from Aplanat to reduce(differ?) the aberrations.

アンチプラネットは、1858年(1840年)にペッツバールが風景用に設計したオルソスコープの改良型とも言える。
一方で、アプラナートと発想は近く、絞りを中間に置き、貼り合せレンズを配置したが、後群は分離させ、凹、凸レンズの配置を入れ替えて、前群・後群の色収差、球面収差を正負逆として、収差を相殺させている。
比較的良好なレンズであった。
New type of glass invention
新種ガラス(イエナガラス)の発明
1886 Zeiss,Schott
ツァイス、ショット
Ernst Abbe,Otto schott
エルンスト・アッペ、オットー・ショット
Barium glass ; Low dispersion and high refraction
This new type of glass was necessary to design Anastigmat lens which was impossible by using only old Crown glass and flint glass.
1. Crown glass – low dispersion, low refraction
2. Flint glass – high dispersion, high refraction
3. barium glass – low dispersion, high refraction

像面特性を規定するペッツバール和を最小にさせる「新ガラス」として、低分散かつ高屈折率のバリウム・ガラスが「ようやく」登場した。
このガラスにより、従来のクラウンガラス・フリントガラスだけでは困難であった像面・非点収差補正レンズ(アナスティグマット)の設計が大きく進み、1890年パウル・ルドルフのアナスティグマット(Protar)誕生に結びつく。
(旧ガラス) クラウンガラス 低分散・低屈折率・高硬度
(旧ガラス) フリントガラス 高分散・高屈折率・低硬度
(新ガラス) バリウムガラス(重クラウンガラス) 低分散・高屈折率
Symmetric
向い合せ型
1887 Ross
ロス
H.L.H.Schroeder
ダニエル・シュレーダー
Concentric lens
コンセントリック・レンズ
新ガラス開発直後(1年後)に製造されたレンズで、新ガラスの貼り合せ新色消しレンズを絞りを挟んで対称に配置し、ダブレットレンズの厚さを均一にするとともに、最前面と最後面の曲面を同心円上(これによりコンセントリックと呼ばれる)とした。

対称型であるので、歪曲収差、コマ収差、倍率色収差は自動的に補正され、またペッツバール和もゼロに近いため、像面も平坦である。
一方、球面収差は無補正に近いため明るくできず、画角30度x2、f16-f20程度までは高性能であった。

Double Gauss
ダブルガウス型
1888 Alvan Clerk
アルバン・クラーク
Alvan G.Clark
A.G.クラーク
Double Gauss
ガウスレンズを2枚背中合わせにした写真用レンズの新構成

The Real Origin of Double-Gauss type lens.
Clark found that locating two Gauss Objective Lenses symmetrically with diaphragm in between makes aberration be offset. He obtained patent in 1888. However, sales of this lens started in 1890 by Bauch & Lomb(est.1853) was not so good because of insufficient correction of chromatic aberrations.


ダブルガウス型の真の起源。

ガウスの対物レンズを絞りを挟んで対称に並べると像面の平坦性や収差が改善されることを発見し、さらにより硬度の高いクラウンガラスをレンズ前後面に配置できるなどの利点から、1888年に特許取得。しかし1890年にボシュ・ロム(Bauch&Lomb)社(1853年創立)から発売されたこのレンズは色消しが不十分であり、販売は不振であったらしい。

Anastigmat
アナスチグマット型
1890 Zeiss
ツァイス
Paul Rudolph
パウル・ルドルフ
Anastigmat, later Protar
アナスチグマット、後にプロター
‘Anastigmat’ at first was a peculiar trade name of this lens. However other manufactures started to use this name for non-astigmatism lenses in general, this lens was renamed as ‘Protar’ in 1900. This lens is a improved type of Aplanat/Rapid Rectilinear, in which lenses of latter group were modified into new type glasses to raise resolution by correcting chromatic aberrations. The latter group was applied into Tessar.
In this lens type, not only stigmatism, curvature of field but also spherical aberration and coma aberration is corrected well, this lens can be called as Anastigmatic-aplanat lens correctly.


まずは、レンズ接合面の性質
① より屈折率の高いガラスが凹で、低いガラスが凸になる貼り合わせ(屈折率の低いレンズが出っ張る形)
   ⇒ 「発散性」「球面収差補正」
   ⇒ 凸の曲率が上がり、凹レンズとのパワーバランスの差が「非点収差増加」「ペッツバール和増加」方向に。
② より屈折率の高いガラスが凸で、低いガラスが凹になる貼り合わせ(屈折率の低いレンズが引っ込む形)
   ⇒ 「収斂性」「球面収差悪化」
   ⇒ 凸の曲率が下がり、凹レンズとのパワーバランスの調整がやりやすいため「非点収差補正」
              「ペッツバール和減少」方向に。

新ガラスの特性を最大に発揮させた高性能レンズ。2つの接合面に前群=発散と後群=収斂という相反する作用を持たせ、対称型レンズの利点(コマ収差・倍率色収差、歪曲収差の自動補正)を保持しつつ、すべての収差のバランスをとった。
レンズ外郭の形状で非点収差の発生を抑えつつ、前群の旧ガラス色消しレンズの発散性の貼り合せ面で球面収差を補正し、後群の新ガラス色消しレンズの収斂性貼り合せ面で像面の平坦化と非点収差の補正を行っている。(ルドルフの原理)
ただし、両群とも分散の差が比較的少ないガラスの接合であるために、接合面の曲率は強めで、当時の大型カメラの焦点距離でなく、小型カメラの画角においては周辺の画像に限界があった。

アナスチグマートは商品名であったが、他メーカーが非点収差ゼロのレンズの名称として使い始めたため、
1900年、明治33年にプロターと改称。
Development and variations of Anastigmat
アナスチグマットの変化とバリエーション
Development of Single Anastigmat,

単アナスチグマットへの変化
上の条件を満足する4つのパターン
  「写真工業」誌より
各タイプのレンズ
①Goerz Dagor f6.8
  Hugo Meyer Aristostigmat f6.8
  Steinheil Summar f6.8
②Steinheil Orthostigmat f6.3
  Voigtlander Collinear f6.3
③Steinheil Satz Anastigmat f4.6
  Watson Holostigmat f4.6
補正が不十分で非点収差が大きく、製造されなかった
Anastigmat
アナスチグマット型
1892 Goerz
ゲルツ
Emil von Hoegh, 1865-1915
エミール・フォン・フーフ
Double Anastigmat
ダブル・アナスチグマット
Symmetrical double anastigmat lens. Max aperture is f7.7 and became f6.8 later. Renamed into ‘Dagor’ in 1904.

上記の①形式を絞りを挟んで対称に配置した、対称型ダブル・アナスティグマット。①自身が単アナスティグマットであるので、分離しても使用できる。当初はf7.7で後に6.8に口径拡大、画角は約60度。
1904年にダゴールと改名した。1926年に会社吸収合併により、ツァイス社のダゴールになる。
coating
コーティングの発見
1892 Taylor,Taylor and Hobson
テイラー・ホブソン・クック
H.Dennis.Taylor(1862-1943
H・デニス・テイラー )
He discovered the effect to prevent reflection by the sunburn of glasses in astronomical telescope.

天体望遠鏡レンズから、レンズ焼けによるレンズの反射防止効果を発見。
Anastigmat
アナスチグマット型
1893 Steinheil
シュタインハイル
N.A. Orthostigmat
オルソスチグマット
This lens has a similar design of Dagor from Goerz except the order of glasses.
Orthostigmat in the left and Collinear f6.3 from Schneider have the same composition.


上記単アナスティグマット分類の②を対称に配置したf6.3のレンズで、ゲルツのダゴールとは配列順序が異なるのみ(対称型ダブル・アナスティグマット)である。
このオルソスチグマットと、1895年発売のシュナイダーのコリニアf6.3レンズとは同じ構成のレンズである。
Triplet
トリプレット型
1893 Taylor,Taylor and Hobson
テイラー・テイラー・ホブソン
H.Dennis.Taylor(1862-1943)
H・デニス・テイラー
Triplet
トリプレット
A concave lens is located between confronting two convex lenses.
Heiar lens from Voigtlander has doubets instead of convex lenses on both side.
Tailor was born on 1862 in Hudersfield England. He entered Thomas Cooke & Sons of York in 1880 at the age of 18. He obtained the patent of Triplet when he was 30, and production of the lens was done by Taylor Taylor Hobson Co. Ltd which obtained the licence of the production.
Two Taylors of Taylor Taylor Hobson Co. Ltd are from the name of Tailor brothers ofWilliam and Thomas Smith. Denis Tailor has no relations with the brothers. The company was established in 1886 by this brothers, and W S H Hobson has joined in 1887.

テイラーは1862年にイギリスhuddersfield生まれ。1880年18歳でThomas Cooke & Sons of York社に入社、30歳でトリプレットレンズの特許を取得した。ただしレンズの製造は製造権を譲り受けたTaylor Taylor Hobson社で行った。
Taylor Taylor Hobson社のTaylorは、WilliamとThomas Smithiesの兄弟の名前であり、Dennisとは関係ない。この会社は1886年にこの兄弟によって設立され、翌87年にW.S.H.Hobsonが加わった、レンズ会社である。

向かい合った2枚の凸レンズの間に凹レンズを挟み込む形。
中央の強い負(凹)レンズの作用で「球面収差」を強力に補正し、この凹レンズを挟んで、十分な空気間隔を持つことで「曲率を抑えた凸レンズ」を対称に近い形で配置することによって、「歪曲収差、コマ収差、倍率色収差」が補正出来ている。
ルドルフ博士のアナスチグマット(Protar)が (1)前群接合=球面収差補正、(2)後群接合=ペッツバール和減少、(3)対称型構成=歪曲収差、コマ収差、倍率色収差補正、という役割分担で良好な画像を作っているのに対し、
トリプレットは中央の凹レンズの色分散・曲率・他の凸レンズとの距離間隔によって、①色収差、②球面収差(軸上・斜光線)、③像面湾曲・非点収差補正という複数の補正を担わせており、基本的に全く異なった設計思想である。

一方で、凹レンズの強いパワーによる正(撮影者側)方向への大きな画像の傾きを、他のレンズのパワーで強力に引き戻すため、周辺部において一定レベルの画像を作ると、中間画角(画面中間輪帯)において球面収差、および非点収差の補正が不足する形となる。また小型カメラ用のレンズではレンズ間隔が狭くなるために、中間輪帯の非点較差が拡大する傾向がある。
さらに、一定以上の口径になると、メリジオナル像面が大きくマイナス側に傾き、急速に非点収差が悪化することから、f3.5(わずかなf2.8)以上は製造されなかった。その後、新ガラスの使用によって、各レンズの曲率が抑えられても、非点収差に関しては大きな改善は見られなかった。

しかし一定以内のf値(暗さ)であれば、全体としては優れた画質であり、貼り合せがなく、製造も容易であることから、現在に至るまで製造されている。
このトリプレットは、非常にシンプルな構成で一定の範囲内であれば非常に優れたレンズであったので、その後、その弱点を克服するべき、数多くの工夫を加えたレンズが考案されていく。
Anastigmat
アナスチグマット型
1895 Dallmeyer
ダルメイヤー
H. L. ALDIS
アルディス
Stigmatic lens
スチグマチック
Front and Rear groups canbe used separately with longer focal length lens.

前群と後群は分離して単独で使用可能(合体時より焦点距離は長くなる)。
Double Gauss
ダブルガウス型
1895 Zeiss
ツァイス
Paul Rudolph
パウル・ルドルフ
Planar
プラナー
Because the correction of chromatic aberrations is not sufficient in Clerk’s lens, Dr. Rudolph invented ‘Burried Surface’ in which two lenses with the same refraction rate but different dispersion are cemented making thick convex unit.
This became the elemental composition towards ‘Double Gauss’ unit. After that, some improvements were done before getting the current gauss type.
1.To make air separation between convex and concave lens of the second group.
2.To add a further convex lens after the convex lens of the fourth group for making back focus longer to prevent hitting the mirror of SLR camera.

ダブルガウス型の基本的な考え方は、
(1) 対称型とすることで、①歪曲収差、②倍率色収差(全色)、③コマ収差、これら3つをほぼ自動的に補正させる。ただし、コマ収差に関しては、
  サジタル面のコマについての十分な補正ができなかった。
(2) 前群・後群各々の凸レンズと凹レンズの組み合わせ(貼り合せ含む)によって、①球面収差、②軸上の色収差、を補正し、
(3) 対称レンズ群間の距離と、レンズ材質・形状によって、像面の平坦性と非点収差の補正を行っていく。
というようなものであるが、勿論(2)(3)などは一方を調整すれば、他方にも影響してしまう可能性が大きい。

ルドルフ博士は、クラークのレンズを改良し、中央の向かいあった2つのレンズを「貼り合せ」とし、そこに「Buried Surface」という考え方を導入して、
プラナーを設計した。

① 「Buried Surface」
  これは、貼り合せレンズをまず一つの色(d線)に関して全く屈折率の等しいもしくは近似のガラスを使用し、この色に関してはほぼ1枚のレンズと
  等しくしてしまう。他の色に関しては、多少の屈折率の差があるが、貼り合せ面の曲率を変化させつつ、他の色についても最良の結像をするように
  補正していくというような考え方である。
② プラナーは、その貼り合せ面以外の部分(屈折率・分散・曲率・厚さ・そして間隔)の設計と調整によって、まず単色光に関わる上記(1)と(3)の
  各収差を補正、最小化する。
③ そして、他の色に関しては、接合面の変化で残存する収差を打ち消していく。
④ それでも、画角20度を超える部分で徐々にサジタルコマ収差が残存した。

こうしてその後のダブルガウス型の「基本形」が完成した。
その後、
  ①2群の凸レンズと凹レンズの間に空気間隔を設け、サジタルコマ収差を軽減する工夫(空気レンズ)、
  ②その空気間隔を発散性のある凸型にすることで、主点を後方に移動させて一眼レフ用のバックフォーカスを確保する工夫、
  ③4群の凸レンズの後にさらに凸レンズを追加して個々の凸レンズの曲率を和らげ、収差を抑える工夫
などが施され(変形ガウスタイプ)、今日の形式になっている。

Anastigmat
アナスチグマット型
1897 Goerz
ゲルツ
Emil von Hoegh, 1865-1915
E.フォン.フーフ
satz Anastigmat
ザッツ・アナスチグマット
The period of production was short because of high production cost by the complex lens design with two symmetric composition of 5 cemented glasses,

5枚貼り付けガラスを対称に配置しているため、製造コストが高額になりすぎ、製造期間は短かった。
Anastigmat
アナスチグマット型
1898 Goerz
ゲルツ
Emil von Hoegh, 1865-1915
E.フォン.フーフ
Celor
ツェロール
単アナスティグマット分類の②の中間の低屈折率ガラスを屈折率1.0の空気に変え、それを対称型にした。
前後の各群に(ガラスの屈折率x2、ガラスの形・曲面x2、間の空気間隔)という5つずつの自由度を持たせ、対称型による歪曲収差、コマ収差・倍率色収差の自動補正と相まって良好な画像が得られた。
Anastigmat
アナスチグマット型
1899 Zeiss
ツァイス
Paul Rudolph
パウル・ルドルフ
Unar
ウナー
2 groups 4 elements. Canceling chromatic aberration by using heavy crown glasses in the front group and light flint glasses in the rear group. The design of front group is adopted into Tessar. The effective correction for spherical aberration can be made by making air separation among the front convex type group. Therefore Tessar can be identified as the hybrid lens of Protar(anastigmat) 1890 and Unar 1899.

2群4枚。前群は重クラウン、後群が軽フリントガラスで色収差を消している。前群がテッサーに応用された。前群に凸レンズ型の空気層を作り、その発散作用で球面収差を効果的に補正、あわせて後群の凹型の空気層による収斂作用との相殺で非点収差を減少させた。すなわちテッサーは90年のプロター(アナスチグマット)と99年のウナーのハイブリッドレンズと言える。
Symmetric
向い合せ型
1900 Goerz
ゲルツ
Emil von Hoegh, 1865-1915



E.フォン.フーフ
Hypergon
ハイパーゴン
140度の画角を持つ画期的なレンズ。 
わずか2枚の凸メニスカスの配置で歪みのない画像を得るが、周辺光量の低下が著しく、撮影時には付属の風車を回転させて中央部の露光を減少させてバランスをとる必要があった。
Triplet
トリプレット型
1900 Voigtlander
フォクトレンダー
Hans Harting
ハンス・ハーティング
Heliar
ヘリアー
3 groups 5 elements. Thr evolutional type by making convex lenses of Triplet into doublet.

ヘリアはトリプレットの両側の凸レンズを、新ガラス貼り合せの新色消しレンズに変更したものである。貼り合せの順が、第一レンズ=凹凸、第三レンズ=凸凹となっているのが本来のヘリアで、その逆のものはダイナー(Dynar)であるが、間もなく両方ともよりポピュラーなヘリアと呼ばれるようになった。また両方とも凹凸で構成されるレンズは、Oxynと呼ばれる。
ヘリアはトリプレットに比べて貼り合せ面が2つ増え、より収差補正要素が増加しているが、新色消しレンズはペッツバール和の減少=非点収差の補正には効果がある一方で、球面収差は単レンズより悪化する場合もあるため、ヘリアの中には顕著な2線ボケを示すものも多い。
Symmetric
向い合せ型
1900 Wollensak
ウォーレンサック
N.A. Verito
ベリート
Periscope type. Chromatic aberration and spherical aberration is remained. The moderate effect of chromatic aberration contributes to keep up details in soft expressions.

ペリスコープ型、色収差と球面収差を残存させているが、とくに色収差の適度な効果がソフトな中にも芯のある描写に貢献している。
Anastigmat
アナスチグマット型

Tessar
テッサー型
1902 Zeiss
ツァイス
Paul Rudolph
パウル・ルドルフ
Tessar
テッサー
Paul Rudolph (left 1858—1935) as assistant of Ernst Abbe, Ernst Wandersleb (right 1879-1963) as assistant of Rudolph entered Carl Zeiss, and designed jointly Tessar in 1902. The name of Tessar came from Greek word Tessera meaning four. Carl Zeiss announced the front group came from Unar and rear group came from Protar(Anastigmat), however it also can be defined the modified lens of Triplet by changing 3rd convex lens into cemented glasses of two different refraction.

パウル・ルドルフ(Paul Rudolph 1858--1935左)はアッベの助手として、エルンスト・ヴァンデルスレブ(1879--1963 Ernst Wandersleb右)はルドルフの助手としてツァイスに入社し、1902年に共同でTessarを設計した。テッサーの名前はギリシャ語の4を表すテッセラからつけられた。

前群がウナー、後群がプロターの組み合わせであるとツァイス社は公表している。
事実そうであろうが、収差補正の観点で見ると、トリプレットの3群目の凸レンズを新ガラスの貼り合せ新色消しレンズに変更し、接合面に収斂作用を持たせることによって、ペッツバール和を減少させて、トリプレットの最大の課題であった中間画角の非点収差を改善したものと考えられる。
非常にバランスのとれた優秀なレンズで、その意味ではその時代としては完成されたレンズとも言える一方、サジタル・メリジオナル像面がf3.5近辺から大口径では大きく開く傾向があり、f2.8以上の明るいレンズは製造されなかった。
Anastigmat
アナスチグマット型
1918 Hugo Meyer
フーゴ・マイヤー
Paul Rudolph
パウル・ルドルフ
Plasmat
プラズマート
Dagor type lens with air separation.

単アナスティグマット分類の①形式の低屈折レンズと中屈折レンズの間に空気間隔を挟み、それを対称型にした設計。
空気間隔入りのダゴールとも言える。(いや、オリジナルの設計がルドルフ博士だから、失礼でした)
空気間隔によって収差補正の自由度を増し、画面を悪化させることなく、より口径の大きいレンズが可能となった。

メルテ(Merte)設計のオルソメター(Orthometar)も同様の設計である。。

Non symmetric Double Gauss
非対称ダブルガウス型
1920 Taylor,Taylor and Hobson
テーラー・ホブソン
H.W. Lee
H.W.リー
Opic
オピック
The first Planar by Dr.Rudolph adhered onto symmetric design, however this lens was designed as non-symmetric. Opic f2 with 46 degrees view angle is a very fast lens, however this lens appealed very superior character with well corrected chromatic aberration, spherical aberration, less curvature of field, and long back-focus.

ルドルフの最初のプラナーが対称型にこだわったのに対し、非対称で設計された。画角46度のオピック F2は大口径であるが、色収差のほか、球面収差、像面湾曲がよく補正され、バックフォーカスも長くとれるなどの優れた特徴を持っていた。
しかし当時はレンズコーティングの技術が進んでおらず、このレンズ枚数が多く、表面反射の影響を受けやすいガウスタイプはコントラストが低くなるなど欠点が目立ち、3年後に発表されたエルノスターとの競争に敗れ、あまり普及しなかった。
Symmetric
向い合せ型
1921 Emil Busch
エミーユ・ブッシュ
Nicola Perscheid
ニコラ・ペルシャイド
Nicola Perscheid
ニコラ・ペルシャイド
向い合せ型のレンズとしては、最後期の作品だけあって、この前後に発表された各種新設計レンズに比べると、さまざまな収差が残っており、そのソフトさが特徴となった。
Anastigmat
アナスチグマット型
1922 Hugo Meyer
フーゴ・マイヤー
Paul Rudolph
パウル・ルドルフ
Kino Plasmat
キノ・プラズマート
当時の最先端であったキノ(映画)撮影用に驚異的な明るさを提供したレンズ。
アナスティグマットを応用し、最大限に集光性を確保するために中央の凹メニスカスレンズを内向きに配置したものと考えられるが、その他のほとんどのアナスティグマット型が中央の空気間隔(空気レンズ)を凸型にして凹レンズ的発散作用を持たせているのに対し、このキノ・プラズマートだけが唯一の例外となった。

中央の凹空間による収斂効果はより多くの光を画面に送る効果を発揮した一方、周辺部の像面には良い影響を与えなかったようである。

ルドルフ博士はこの画像特性には気づいていたはずであるが、動画であれば周辺部にはあまり聴視者の注意が向かないこと、なによりも明るさが優先されたことから、製造に踏み切ったものと思われる。

ライカ・マウントのこのタイプのキノ・プラズマートの発売は1931年ごろ。プラズマートでは、他に1925年発売のf2.9のマクロプラズマート、1931年発売のf2.7のミニチュアプラズマートなどが知られている。
Triplet
トリプレット
1923 Ernemann
エルネマン
Ludwig・Bertele
ルードヴィッヒ・ベルテレ
Ernostar
エルノスター
基本形 f2.0
f1.8
1919年にローデンシュトックからエルネマン社に転職していたルードヴィッヒ・ベルテレ(Ludwig Jakob Bertele)は、A.クルーグハルトKlughardt)とともに当時としては空前の大口径レンズを設計した。当時ベルテレは23歳で、レンズ設計の知識はほぼ独学で学びとっていた。

「トリプレットの利点を活かしつつ、より明るいレンズを作りたい。」

但し、そのまま大口径にしたのでは、周辺部の球面収差が拡大すると同時に、メリジオナル像面の前傾が著しくなり、周辺の画像が大きく乱れてしまう。

ベルテレは、この問題を解決するため、トリプレットの前群凸レンズを2枚に分離し、中央の凹レンズとの間に凸メニスカスを挟みこんだ形で、個々のレンズの曲率を抑えつつレンズの口径を拡大した。

トリプレットの中央の凹レンズは強いパワーを持っているため、単体では像面が後方(撮影者側)に傾いている。
その補正を大口径に適した形で行うためには、凸部分の曲率を抑えつつ、パワーを分散させることが効果的である。
そのために第一群の凸レンズを分割してメニスカスを挟み込んだ設計が1923年のエルノスター、第三群を分割した設計が1924年のスピーディックとも考えられる。

また、ベルテレの当初の特許では、分割した前2枚を、さらにを各々分散の異なるガラスによる貼り合せレンズ(前群が4枚となる)として、「接合面による発散と収斂」のバランスをとり、口径拡大に伴う「球面収差と像面の変化を抑える」工夫を加えている。

エルノスターは、球面収差補正に優れたレンズで、特に中央部の解像力は高かった。
一方、周辺に向かって「ペッツバール和」が増大し、コマ収差が残る。 また、像面は全体としては安定しているものの、非点隔差は周辺部に残っており、画像の乱れが観察される。

Tessar
テッサー型
1923 Leitz
ライカ
Max Berek
マックス・ベレク
Elmar
エルマー50mmf3.5
ほぼテッサーと同じ構成。当初はゲルツ社からガラスの供給をうけていたが、1926年にツァイスに吸収されたため、イエナのショット社に変更し、新エルマーとなる。
Triplet
トリプレット
1924
Taylor,Taylor and Hobson
テーラー・ホブソン
H.W.Lee
H.W.リー
Speedic
スピーディック
スピーディックは、トリプレットの第三群を分割して、2枚の凸レンズにしたものである。
一枚当たりの曲率を抑えることによって、球面収差をさらに改良し、f2.5程度の、より大口径のレンズを試みた。
球面収差については一定の改善が見られているが、非点収差はトリプレットと同様にかなり残存している。
Non symmetric Double Gauss
非対称ダブルガウス型
1925 Schneider
シュナイダー
A.トロニエ(Albrecht Wilhelm Tronnier1902-1982) Xenon
クセノンf2
1925 1st XENON f2 1935 XENON f1.5

独シュナイダー社のトロニエ(Albrecht Wilhelm Tronnier1902-1982)はベルテレ(Ludwig・Bertele)よりも2歳年下であるが、ベルテレがエルネマン社でエルノスターを開発後、会社が1926年にZeiss財団に吸収されることによって、大Zeissの設計者としてゾナーの成功という大きな成果を獲得していったのに対し、独立を保ったシュナイダー社の設計者として、ダブルガウスとゾナーという巨大な壁と戦うこととなった。

写真愛好家のすそ野の拡大を反映し、レンズ設計は、より早いシャッタースピードで撮影可能となる高性能な大口径レンズの開発競争へと進んでいったが、トロニエがこの課題に着手する以前に、小型カメラ用レンズの基本形として現代に続く、
  ①非対称のトリプレットとその応用型としてのエルノスター(その後のゾナー)、
  ②対称型として大口径への可能性を秘めたプラナー、オピック(Opic)をはじめとするダブルガウス型
という「基準形」はすでに世に出てしまっていた。

トロニエを含むその後の設計者は、近代コンピューターの本格的な展開まで、新しい基準形を作りだすということよりも、これら基準形の特許をにらみつつ、いかにより優れた光学特性・収差特性を与えられるかという、「局地戦」を余儀なくされる。
その局地戦の中で生まれてレンズ群が、「XENON」であり、「BIOTAR」であり、「SPEED PANCHRO」である。

「XENON」は4群6枚のF2レンズも、5群7枚のF1.5レンズも、リー(H.W. Lee)の設計したレンズに近似している。
Leitzに供給されたF1.5のXENONは米英などの国ではリーの特許が先に存在したため、リーが所属するTaylor,Taylor & Hobson社のPatentであることを追記する必要まであった。

描写性能はダブルガウス型の特徴をそのまま保有し、基本的にはオピックの非対称ダブルガウス型の特徴を活かし高性能であるが、外周部のサジタルコマは残存している。f1.5では最後群の凸レンズを1枚追加し、屈折率を維持したまま各レンズの曲率を抑えて収差を改善している。ただし、まだ新種ガラスの開発前であったことから、球面収差の補正にもまだ課題があった。


Non symmetric Double Gauss
非対称ダブルガウス型
1925 Hugo Meyer
フーゴ・マイヤー
Paul Rudolph
パウル・ルドルフ
Makro Plasmat
マクロ・プラズマート
Triplet
トリプレット

Sonnar
ゾナー
1931 Zeiss
ツァイス
Ludwig・Bertele
ルードヴィッヒ・ベルテレ
Sonnar
ゾナー

50mmf2

50mmf1.5




ベルテレは1900年、ミュンヘン生まれ。
16歳でローデンシュトックの光学計算部に就職し、19歳でエルネマン社(ドレスデン)に移った。1923-4年に弱冠23-4歳でエルノスター100mmf2の設計を完成させた。1926年にエルネマン社がツァイスに買収され、ツァイス・イコン社となったが、ベルテレはそのまま残り、ツァイス社の最大の財産となった。
1932年、ライカに対抗して製作された初代コンタックスの発売に合わせて、ベルテレが設計したのが、ゾナーである。

ベルテレの出世作である「エルノスター」は非常に優秀なレンズであったが、プラナーと同じ8面の反射面を持ち、内面反射の処理が課題であった。その優れた回答がゾナーf2.0となった。

エルノスターの第2群と第3群の間をできるだけ屈折率が1.0に近いガラスで埋め、バルサムで貼り合せる。
加えて、最後群をテッサー同様「収斂作用」のある貼り合せにすることによって、第2群を3枚貼り合せにしたことによって生まれた中央の凸レンズの発散作用(より低屈折率面が凸型なるため)を相殺させた。
これによって、より抜けの良い高性能レンズが誕生。

ゾナーのf2.0から、f1.5に至る変化には、さらに工夫が加えられた。
ゾナーf2.0は、もともと強いトリプレットの凹レンズの負のパワー(球面収差は後方=収差グラフの右方向=に
  大きく傾く)を、複数に分散させた凸レンズの段階的な正のパワー(球面収差は前方=収差グラフの左方向=に
  傾く)との組み合わせで打ち消した。

この効果はf2.0の範囲までは小さな収差の膨らみに抑えることに成功したが、f2.0より大口径になると強い
  凹レンズによる後方への収差の傾きが急激に顕在化してしまった(下図)。

   これでは開放ではぼやけた絵になってしまう。
f1.5化に当たっては、ゾナーf2.0の最後群を3枚に増やし、中心の凸レンズの膨らみを、後方に向けて曲率
  を強くし、その面に弱いパワーの凹レンズを貼り合せることで「収斂性を高め」る工夫を加えた。

  これにより、周辺部の光線の角度を強め、周辺部の焦点位置を前方=収差グラフの左方向(補正不足方向)=に修正した。
④その影響により、f1.5のゾナーは開放絞りにおいて平均的に良好な画像となったが、部分部分では収差の拡大も見られ、多少絞りこんだ状態においては、f2.0
のほうが画像が優れている場合も多い。

ゾナーはレンズ構成図にあるように、レンズの張り合わせ面が多く、非常にコストのかかるレンズであったが、一方でガラスと空気の境界面での反射が抑えられるため、コーティング技術のなかった当時では、反射面が6面のゾナーは、8面のダブルガウス型に比べてコントラストが高く、評価された。反面、レンズ構成上、曲率に制約が大きいのと、バックフォーカスが短い構造から、一眼レフ時代には乗り遅れることとなった。

ゾナーとプラナーの特徴をレンズ構成面からみると以下のようなイメージになる。
 ゾナー プラナー 前群ゾナー+後群プラナー
輪帯部球面収差
球面収差の色差
コマ収差 
(輪帯部サジタル)
非点収差 
歪曲収差  やや糸巻き ほぼ無し ほぼ無し
倍率色収差 
内面反射
バックフォーカス

ちなみに、ベルテレの物まね日本人嫌いは有名である。


参考文献
 :『写真レンズの歴史』ルドルフ・キングズレーク著 雄倉保行訳 朝日ソノラマ
 :「写真工業」誌
 :「レンズ設計のすべて」辻定彦著
 :その他ネット情報

写真レンズ年表(Chronology of Photo Lens)
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